ラーメン・つけ麺好きならその名を知らない人はいない、つけ麺のパイオニア「東池袋 大勝軒」
私も以前立ち寄り、その本場の味を味わいに出向いた事があります。

この問題は非常にデリケートな話題ですが、個人の感想をのべるまでにとどめておきたいと思います。

まず、このお家騒動はどのようなことだったのでしょうか?
報道されていることを振り返り現状をみていきましょう。




お家騒動の原因はなんだったのか?

大勝軒 外観

今回の分裂の発端は、報道によると初代 東池袋大勝軒店主「山岸一雄」さんの葬儀まで遡ります。
山岸一雄さんは”マスター”と呼ばれ、お客さんにだけでなく、弟子達にも愛されていたとても人徳のある方だったようです。屋号を無償で分け与え、弟子をとりラーメン屋では企業秘密であろう知識や技術を惜しみなく伝え、そのネームバリューとともに大勝軒の味を全国へと広めていきました。

そうした経緯から、彼を慕う弟子は多くおり、当然葬儀にも出席し、その骨を拾いたいと願ったのですが…。
(現)二代目店主 飯野敏彦氏が葬儀の際に言った一言が今にまで残る対立の起因と成ったようです。
また、飯野氏は大勝軒の弟子たちが発足した「大勝軒 のれん会」を取り仕切り、山岸氏亡き後の大勝軒を引き継ぎました。
事実上のトップになり、系列の店舗や報道に対してある規制を出します。
「取材は本店事務局を通してください」
それが今回の原因となりました。飲食店ならずともメディアに取り上げられることはとても宣伝効果があります。
PR取材の許可も殆ど下りず、のれん会から指定された割高の材料などに反感を覚えついに分裂騒動にまで発展したのです。

そして、分裂した大勝軒の弟子たちが発足したのが「大勝軒 味と心を守る会」となりました。
こうして、大勝軒の看板を掲げる二つの会が存在することとなり、意見が真っ二つとなり現在も争いは続いています。

 

飯野敏彦とはどんな人物なのか?

二代目 飯野敏彦氏
二代目 飯野敏彦氏(公式サイトより)

上記の発言だけをみるととても傲慢のように感じますが…実際はどうだったのでしょうか。
私は本人をお見かけしたことがありますが、とてもそんな感じはしませんでした。
飯野氏は、先代が存命の頃、一人でその世話をして病院などに送ったりととても面倒見の良い人だったという話もあります。
(山岸一雄氏は晩年病に犯されながらも、店舗で生活し料理も提供していました)
過去に山岸氏に、二度破門を受けた経緯もありながらも、しっかり復帰しているのは先代の器量の大きさであると言えるでしょう。
(一度目はラーメン業界から引退するといったため、二度目は先代に明かさず店舗を出展したため)

それでも、現在の地位にたち大勝軒ブランドの先導していく姿勢は立派ですし、彼を指示している人達が少なくないという事は決して悪人であるとは言いがたいと思います。

 

初代 山岸氏は生前にこの分裂を危惧していた?気になる発言が・・・。

また、下記の動画で山岸氏は「末永くみんな仲良く」と意味深なことを言っています。
山岸氏のところには自分の腕を磨きたい、他の店よりも美味しいラーメンを作りたいといった野心をもった人達も多かったはずです。
凌ぎを削る環境の中ですから、ギスギスした険悪な時あったのでしょう。
そういった事をしっかりみていた山岸氏は、みんなをまとめあげられる人がいないと憂いていたようです。
しかしながら後継者を決めなくてはいけなかった山岸氏は、一番弟子の飯野氏に希望を託したのでしょう。
師匠の想いとは、別に弟子たちの争いは起こってしまったのが非常に残念でなりません。

 

大勝軒の本家が仲裁に入るも・・・交渉はうまくいかず。。

初代 大勝軒 山岸氏は「中野大勝軒」にて修行をしていました。修行を終え独立したのが今の東池袋大勝軒となります。
中野大勝軒は現在もあり、大勝軒の本家ということになりますね。
中野大勝軒の社長 坂口光男氏が東京ラーメンショーに出展していた飯野氏を訪ね、自ら説得をしました。
坂口氏は初代のはとこでもあり、血縁関係を重んじれば無碍にできないないでしょう。

「山岸さんの弟子たちに、仲が良かった頃のように戻ってほしい。ノーサイドにしたい」と思いを伝えるも交渉は決裂。
組合同士の話し合いにも結びつかず、飯野氏の意思も非常に固いようです。

関係者からも唯一、騒動を収められそうな人物と期待されていましたが決裂に終わってしまったようです。

 

騒動を客観的にみた反応は?

テレビでおなじみのご意見番 テリー伊藤さんはこのようにいっています。

「先代がいなくなって、味が落ちた」という人もいるだろう。しかし、大勝軒の味を基調に、店がある地域の素材を生かして自分なりにアレンジしてもいいのではないか。夏と冬では味は微妙に違うだろうし、女性が食べやすい麺もあるだろう。
だから、それぞれのオーナーも、同じレシピで作る必要はない。時代によって、どんどん進化していけばいい。おいしくなかったら、その店は消えていくだけ。もちろん、同じレシピでしっかりと山岸さんの味を継承する店があったっていい。
コレ、私の実家の玉子焼き屋も同じこと。築地には玉子焼きの店が何軒もあるけど、店によって味が違う。だから、お客さんも自分の好きな味を求めることができるわけ。横須賀に行けば、海軍カレーの店がいろいろあるけど、別に海軍や自衛隊のレシピだけが重宝されるわけではない。大勝軒も揉(も)めることで、「あいつの店よりはうまい麺を作る」と切磋琢磨(せっさたくま)し、結果、味がよくなれば、いいんじゃないか。

テリー伊藤さんは非常に冷静に状況を見ていますね。しかも前向きに考えているようです。ただの争いで終わらず、好転することを願っているようです。

管理人の感想

今回の騒動は、昔あったほっかほっか亭とほっともっとの分裂騒動を彷彿とさせます。
ジャンルも騒動の理由も全く異なりますが、どうしてでしょうか。
たぶんそれが、私たちが関心をもつ域なのかと思います、客となった立場では考えの及ばないところなのかもしれません。

歴史物が好きな私は、飯野氏が武田勝頼のように感じました。
偉大な父 武田信玄の威光を感じながらも、亡き父が築いた栄光を守り反映させようという意思をもった人物です。
最終的に武田家を滅亡させてしまったことから、愚息のように思われがちです。
しかしながら、勝頼の思想は武田家を反映させ、信玄を超える事考えていた野心家でもあったのです。

現状におぼれることなく、大勝軒をつけ麺の美味しいお店にするだけでなく、ビジネスモデルとしての大勝軒を確立させていのではないかと管理人は思うことがあります。ただの美味しいお店で終わらせまいとする経営者としての考えなのかもしれません。
そうした事が上記の発言や規制につながったのではないかと推測しています。

と、小難しい話になってしまいましたが 笑

分裂してもしなくても美味しい大勝軒の味を提供してくれることを願うばかりですね!



人気ブログランキングへ

にほんブログ村 ラーメン